竹内弥一郎(たけうち やいちろう)

 鵜坂村下轡田

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安政5年(185845日 竹内七郎の長男として生まれた。

若くして村内の納税のとりまとめや紛争の調停・解決に当るなど常に村内の指導的役割を果たしてきた。

明治22年(1889)町村制実施とともに、鵜坂村初代村長に就任した。時に若冠31才の若さであった。30年、34年、38年夫々村

長に再選され、通算15年間村長の職にありまた。

村会議員は22年以来ずっと連続就任してきた。

明治40年には郡会議員に選ばれた後、名誉職郡参事会員ともなり郡政に参与してきた。学務委員、県農会議員、郡農会議員、所得税調査委員、信用組合幹事、神通川左岸第7区水害予防委員、共益無尽会社取締役等々の要職を歴任、その間の功績は極めて大きく一々列挙の遑がない程である。

明治22年の鵜坂村誕生と同時に下轡田の近知小学枚、分田の博隆小学校を合併して、新しく鵜坂小学枚を発足させ、直ちに新校舎の建設にかかり、教育の向上と同時に、産業の発展にも苦慮し、新鵜坂村の村づくりの第一歩を踏み出させ、村政の基盤を作ったことは極めて大きいといえる。 昭和141126日没 享年81