竹内拙堂(たけうち せつどう)

 鵜坂村下轡田 明治20年(18871220日~昭和44年(1969624

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竹内彌一郎・トヨの長男として生まれる。

富山中学を卒業後、村の青年団長・農会評議員などを経て、昭和840才で第7代目の鵜坂村村長に就任、富山市近郊の農村としての地域的発展を促し、地域近代化の手始めとして隣村の速星村との合併の推進役となった。

昭和15年(皇紀2600年)を契機に全国的に合併の気運の盛り合った時期でもあったが、昭和16年太平洋戦争に突入、合併の波も一頓座を来たした時ではあったが、あらゆる悪条件を克服しつつ、新婦中町の基盤をつくることに全力を傾注した。

自ら初代町長に就任して、昭和20年、二代目を増田清太郎に譲って、地方政界から退いた。