佐々木きよ(ささき きよ)

 鵜坂村田島 明治25年(1892)~昭和49年(1974) 享年82

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鵜坂村塚原松井松次郎の長女として生まれる。

大正5年同村田島佐々木秀次郎に嫁す。

明治37年小学校(四年)を卒えて、当時鵜坂村村長だった高柳留次郎氏の推めがあって、大日本衛生会富山支部産婆養成所(いまの日赤富山支部)に入所、ここで16ケ月産婆学・看護学を学び、明治44年、内務省から始めて産婆開業の免許状を取得、翌年単身上京、産科医師の許で実施指導を受け、大正4年、東京府から正式に看護婦免状を得る。

大正5年帰郷して、結婚、直ちに同地で開業、正式な産婆の資格を持つものがなかった所為もあって、殆んど婦負郡中を手がけたといってもいいくらいに、自転車で駆け回った。大正13年、漸く郡内にも数人の有資格者が出てきたので婦負郡産婆会を結成、自らその初代会長となり分娩料金の制定など、新しい組織づくりに当った。

昭和年代に入ると急速に制度の改革が行われるようになり、産婆の名も助産婦と改称、昭和6年には、富山県助産婦会が発足するようになった。

自らその推進力となり、助産婦としての地位向上とともに、正しい医学的見地にたった出産の意義、その知識の普及に勤めた。

昭和26年、富山県助産婦、看護婦、保健婦協会が発足、自らその助産婦部長に就任、母性保護の法的措置の推進に活動を展開、助産婦の傍ら、母性保護指導員、受胎調節指導員等を受け持ち積極的に活動を展開した。

その功により、大日本産婆会、富山県知事、厚生大臣から表彰を数回受け、昭和42(75)

生存者叙勲では県下の女性のトップをきって勲六等宝冠章を受けた。

助産婦として活動の外に、地区婦人会長、地区農協婦人部長、労働省婦人少年室相談員などのボランティア活動に積極的に参画、昭和24年婦人として始めて婦中町町会議員に当選、地方自治の推進にも当った。